ざっくり簡単解説!持明院統とは?

持明院統(じみょういんとう)は、鎌倉時代末期から南北朝時代にかけて存在した天皇家の一系統で、後深草天皇の子孫による家系です。持明院統は、天皇家のもう一つの系統である大覚寺統と皇位を巡って対立しました。この対立が激化し、やがて南北朝時代に繋がる分裂を引き起こすこととなりました。

鎌倉時代後期、朝廷内では二つの天皇系統が対立し、皇位継承を巡る争いが続いていました。持明院統は、幕府に支持されることが多く、安定的な統治を行う一方で、大覚寺統はより独立的な立場を取りました。この二系統は、時に交互に天皇を出す形で継承を行う両統迭立という形を取りましたが、これが後に南朝と北朝の分裂を招きます。

持明院統は、南北朝時代において北朝として存在し、幕府や足利氏の支持を受けて皇位を維持しました。一方、大覚寺統南朝として、後醍醐天皇を中心に反幕府勢力として活動しました。この分裂は、南北朝時代の混乱を引き起こし、数十年にわたる争いの原因となりました。

最終的に、南北朝の統一によって持明院統が勝利し、以後の天皇系統は持明院統が中心となりました。

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