1671年([years_ago]1671[/years_ago])
九・六騒動(くろくそうどう)は、江戸時代前期に大和国郡山藩で発生したお家騒動です。藩主・本多政勝の死後、その遺領15万石のうち9万石を養子の政長が、6万石を実子の政利が相続することとなりました。しかし、政利は全領地の相続を望み、1679年に政長を毒殺したとされています。この事件により、政利は播磨国明石藩へ移封され、郡山藩は政長の養子・忠国が相続し、陸奥国福島藩へ転封されました。この騒動は、藩内の権力争いと幕府の裁定が絡み合った典型的なお家騒動として知られています。ざっくり簡単解説!黒田長義とは?
黒田長義(くろだながよし)は、江戸時代後期の筑前秋月藩第11代藩主です。1845年に第10代藩主黒田長元の六男として生まれ、母は黒田長韶の娘である慈海院(慶子)でした。兄たちが他家に養子に出されていたため、安政6年(1859年)に父の嫡子となり、同年に将軍徳川家茂に拝謁しました。
長義は1859年に従五位下・近江守に叙され、その後甲斐守に改められました。1860年に父が隠居したことにより家督を継ぎ、藩政を引き継ぎましたが、短命であり、1862年に16歳で死去しました。彼の早世は藩に影響を与え、跡を弟の黒田長徳が継ぐこととなりました。
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