ざっくり簡単解説!黒田長堅とは?

黒田長堅(くろだながかた)は、江戸時代中期の筑前国秋月藩第7代藩主です。1770年に交代寄合・表向御礼衆の山崎義俊の次男として生まれ、母は第5代藩主黒田長邦の娘・此子でした。1774年、養父である黒田長恵の養嗣子として家督を継ぎましたが、若年のため藩政には多くの課題を抱えました。

長堅の在任期間中、藩内では学問と人材育成が奨励され、学問所「稽古亭」が整備されて教育が進められました。しかし、1784年、わずか15歳で江戸藩邸にて早世し、将軍に拝謁することなく生涯を終えました。この早世により藩は無嗣断絶の危機に瀕し、重臣たちは宗家の福岡藩と協議して養子の黒田長舒を迎えて家督を継承させました。

長堅の治世は短かったものの、学問の奨励と藩の安定に向けた努力は、その後の秋月藩の基盤に影響を与えました。

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