ざっくり簡単解説!高遠藩とは?

高遠藩(たかとおはん)は、江戸時代信濃国伊那郡(現在の長野県伊那市)に存在した藩で、藩庁は高遠城に置かれていました。藩は慶長5年(1600年)、保科正光が2万5000石で入封したことにより成立しました。正光は関ヶ原の戦いで東軍に参加し、その功績から高遠藩が立藩されました。

その後、正光の子である保科正之が家督を継ぎ、彼の時代に藩の石高は3万石に増加しました。正之は後に出羽国の山形藩に移封され、藩は鳥居忠春が3万2000石で入封することになります。忠春は、関ヶ原の戦いでの功績を背景に藩を統治しましたが、藩財政には厳しい状況が続きました。

幕末には高遠藩も混乱の影響を受け、1868年の戊辰戦争では新政府軍に参加し、北越戦争や会津戦争にも関与しました。しかし、明治維新の廃藩置県により高遠藩は消滅し、その領地は長野県に編入されました。

高遠藩の歴史は、地域の文化や伝統に影響を与え、現在でも高遠城址や周辺の歴史的名所が観光地として知られています。