ざっくり簡単解説!高畠藩とは?
高畠藩(たかはたはん)は、江戸時代中期に山形県東置賜郡高畠町を中心に存在した藩です。1767年に織田信邦が「明和事件」に連座し隠居させられた後、弟の織田信浮が家督を継ぎ、高畠に移封されました。高畠藩は無城大名であり、当初は高畠陣屋を藩庁とし、6つの村を所領としていました。藩の財政は厳しく、1782年に起きた天明の大飢饉によってさらに困窮しました。この時期には家臣団の離反もあり、藩の運営は一層困難を極めました。
1810年には陣屋が焼失しましたが、再建されることなく、1826年にも再び焼失しました。第3代藩主織田信美は、所領の大部分が天童周辺に集中していることを考慮し、1830年に藩庁を天童に移し天童藩と改称しました。この移転により、高畠藩は天童藩に吸収される形で幕を閉じました。
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