ざっくり簡単解説!駿府藩とは?

駿府藩(すんぷはん)は、江戸時代に静岡県の駿河国に存在した藩で、藩庁は駿府城に置かれていました。この藩は、元々は徳川家康がその隠居所として駿府城を整備したことに始まり、家康の十男である徳川頼宣が慶長14年(1609年)に入封しました。頼宣は50万石の石高を与えられましたが、幼少のため、実際には家康が藩政を主導していました。

元和5年(1619年)には頼宣が紀伊国和歌山藩に転封され、その結果、駿府藩は一時的に廃藩となります。その後、寛永2年(1625年)に徳川家光の弟である徳川忠長が55万石で再び藩主となりましたが、忠長の不祥事が相次ぎ、寛永9年(1632年)に改易され、駿府藩は再度廃藩となります。

その後、駿府は幕府の直轄地となり、駿府城代が置かれ、東海道の要所として重要な役割を果たしました。幕末には徳川慶喜が大政奉還を行い、藩は静岡藩に改名されました。明治4年(1871年)には廃藩置県が実施され、静岡県に統合されました。

駿府藩の歴史は、徳川家康の影響を強く受けており、地域の文化や経済に大きな影響を与えました。現在も駿府城の遺構や周辺の名所は観光地として親しまれています。

江戸時代の関連記事