ざっくり簡単解説!間瀬正辰とは?

間瀬正辰(ませ まさとき)は、江戸時代前期の武士で、赤穂浪士四十七士の一人として知られています。1681年、赤穂藩大目付である間瀬正明の長男として生まれ、通称を孫九郎と称しました。家督は継がず部屋住みの身分でしたが、1701年に主君・浅野長矩が江戸城内で吉良義央に刃傷に及び、赤穂藩が改易されると、父とともに大石良雄に誓書を提出し、主君の仇討ちを志しました。

その後、父とともに赤穂藩飛び領の加東郡に滞在し、1702年9月には江戸へ下向。討ち入りの際には、裏門隊に属し、吉良邸への討ち入りに参加しました。討ち入り後、間瀬正辰は三河岡崎藩主・水野忠之の屋敷に預けられ、1703年2月4日、23歳で切腹を命じられました。その後、主君・浅野長矩と同じく高輪の泉岳寺に葬られました。

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