ざっくり簡単解説!間瀬正明とは?

間瀬正明(ませ まさあき)は、江戸時代前期の武士で、赤穂浪士四十七士の一人として知られています。1641年、赤穂藩士・間瀬権大夫の長男として生まれ、幼名を久大夫または久太夫と称しました。赤穂藩では大目付として200石を知行し、厳格で真面目な性格から多くの藩士から信頼を得ていました。

1701年、主君・浅野長矩が江戸城内で吉良義央に刃傷に及び、赤穂藩は改易されました。この際、正明は仇討ちを強く主張し、息子の間瀬孫九郎とともに討ち入り計画に参加しました。1702年12月14日、吉良邸への討ち入りでは、表門隊の参謀として指揮を執り、見事本懐を遂げました。

討ち入り後、正明は熊本藩主・細川綱利の屋敷に預けられ、1703年2月4日、63歳で切腹を命じられました。その後、主君・浅野長矩と同じく高輪の泉岳寺に葬られました。なお、次男の間瀬定八は討ち入りには加わらなかったものの、一族連座して伊豆大島へ流され、同地で病死しました。

江戸時代の関連記事