1565年([years_ago]1565[/years_ago])
永禄の変(えいろくのへん)は、室町幕府第13代将軍・足利義輝が、1565年5月19日(永禄8年5月19日)に京都の二条御所で、三好義継や松永久通らの軍勢によって襲撃され、殺害された事件です。この事件は、室町幕府の権威が大きく揺らぐ契機となり、戦国時代の混乱をさらに深めました。義輝は剣豪将軍として知られ、剣術の達人であったものの、多勢に無勢で討ち死にしました。この事件の背景には、三好氏の勢力拡大や、幕府内の権力闘争がありました。永禄の変後、幕府の実権は三好氏や松永久秀らに握られ、将軍の権威は失墜しました。その後、足利義昭が第15代将軍として擁立されますが、織田信長との関係悪化により、最終的に室町幕府は滅亡へと向かいました。永禄の変は、戦国時代の権力構造の変遷を象徴する重要な出来事として、日本史に深く刻まれています。ざっくり簡単解説!足利義尚とは?
足利義尚(あしかが よしひさ)は、室町幕府の第9代将軍であり、8代将軍足利義政の子です。1473年、義政の隠居によりわずか10歳で将軍職に就任しました。義尚の治世は、父の時代に引き起こされた応仁の乱の後始末と、将軍としての権威を回復するための努力が続きましたが、彼の治世は内乱と困難に満ちていました。
義尚は将軍としての力を示すため、各地で反乱を鎮圧しようと試みましたが、その中でも特に有名なのが、1487年に始まった六角征伐です。この戦いでは、近江国(現在の滋賀県)の有力大名である六角氏を討伐しようとしましたが、長期戦となり、幕府内の権威は回復できませんでした。
義尚は軍事行動に自ら出陣する積極的な将軍でありましたが、1489年に陣中で病を患い、わずか25歳で早世しました。彼の死後、室町幕府の権力はますます弱体化し、戦国時代への転換がさらに加速しました。
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