712年 - 1871年(廃藩置県まで)
出羽国(でわのくに)は、現在の山形県および秋田県にまたがる地域を領域とした令制国で、東山道に属していました。712年(和銅5年)に陸奥国から分割されて設置され、広大な領域を有するため、後に北部が秋田郡を含む「秋田」として分割されました。国府は現在の山形市周辺に置かれ、月山や湯殿山などの霊山があり、修験道や信仰の地として発展しました。また、出羽国は豪雪地帯であり、自然環境が厳しいものの、豊かな森林資源と農地を背景に農業と林業が発展しました。江戸時代には主に庄内藩や久保田藩が支配し、廃藩置県により山形県と秋田県に分割されました。現在も自然豊かな観光地として多くの人々に親しまれています。ざっくり簡単解説!美濃国とは?
7世紀 – 1871年(廃藩置県まで)
美濃国(みののくに)は、現在の岐阜県南部を領域とした令制国で、東山道に属していました。国府は不破郡(現在の岐阜県不破郡垂井町)に置かれ、国分寺も同地に建立されました。一宮は南宮大社(垂井町)とされ、古代から信仰の中心地として栄えました。美濃国は木曽川や長良川などの豊かな水系を有し、農業や商業が盛んでした。戦国時代には斎藤氏が岐阜城を拠点に勢力を拡大し、後に織田信長が岐阜城を本拠地としました。江戸時代には大垣藩や加納藩などが置かれ、幕末までその体制が続きました。1871年の廃藩置県により岐阜県に編入され、現在も歴史的遺産や文化が多く残り、観光地としても親しまれています。
- 最終更新日: