ざっくり簡単解説!総社藩とは?
総社藩(そうじゃはん)は、江戸時代初期に上野国総社(現在の群馬県前橋市総社地区)にあった藩で、徳川家康に仕えた諏訪頼忠が1592年に領地を与えられたことにより成立しました。頼忠は荒廃していた蒼海城を修復し、領地を治めましたが、1601年に旧領である信濃諏訪に戻り、代わりに秋元長朝が1万石で総社藩主として入封しました。
長朝は新たに総社城と城下町を築き、領内の基盤整備を進めました。特に、天狗岩用水の開削による新田開発は領民の生活向上に寄与し、秋元氏は名君として称えられました。秋元家は二代目の泰朝まで続きましたが、1633年に泰朝が甲斐谷村藩へ移封されたことで総社藩は廃藩となり、領地は他藩に吸収されました。
秋元家の統治下で行われた灌漑事業や城の建設など、総社藩は地域開発に貢献し、現在もその遺構や史跡が地元に残されています。
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