ざっくり簡単解説!矢作藩とは?

矢作藩(やはぎはん)は、下総国香取郡(現在の千葉県香取市)に設立された藩で、江戸時代初期に徳川家康の重臣鳥居元忠(とりいもとただ)が初代藩主として4万石を与えられたのが始まりです。元忠は家康の信頼厚い譜代大名で、関ヶ原の戦いに先立つ伏見城の戦いで奮戦し、殉死しました。彼の忠義が認められたことから、矢作藩はその子の鳥居忠政が引き継ぎますが、後に忠政が他領に転封されたことで矢作藩は一旦廃藩されました​。

1630年、矢作藩は三浦正次(みうらまさつぐ)によって1万石の所領で再立藩されました。三浦正次は徳川家光に仕えた有力譜代大名で、島原の乱では幕府軍の上使として現地指揮を務め、戦功を挙げました。正次はさらに幕府の重要な役職である「六人衆(後の若年寄)」にも任命され、徳川家の政権維持に貢献します。しかし、1639年、三浦正次が下野国の壬生藩に移封されたため、矢作藩は再び廃藩となり、その後は幕府直轄領や旗本領として管理されることになりました​。

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