ざっくり簡単解説!甲府藩とは?

甲府藩は、江戸時代甲斐国(現在の山梨県甲府市)に存在した藩で、慶安4年(1651年)に徳川家光の三男徳川綱重が立藩しました。藩の初期の石高は25万石でしたが、その後、政情や藩主の変遷に伴い、石高が変動しました。

特に重要なのは、延宝6年(1678年)に綱重が死去した後、長男の徳川綱豊(後の6代将軍・家宣)が藩主を継ぎました。宝永元年(1704年)には、側用人の柳沢吉保が藩主として迎えられ、藩の統治はより安定しました。この時期、甲府は経済的にも発展し、市街も繁栄しました。

しかし、享保9年(1724年)、享保の改革の一環として柳沢吉里が大和国の郡山藩に移封され、甲府藩は幕府の直轄地となりました。これにより、甲府藩は事実上廃藩となり、その後は町奉行の支配下に置かれることになります。さらに、甲府では数度の騒動が発生し、社会不安が高まる時代となりました。

幕末には、甲府城での激しい戦闘もあり、甲州勝沼の戦いなど、歴史的な事件の舞台ともなりました。明治元年(1868年)には甲府府が設置され、幕藩体制は終焉を迎えました。

甲府藩の歴史は、地方政治や経済の変遷を示す重要な事例であり、現在の山梨県の文化や歴史に多大な影響を与えています。

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