1640年-1871年(廃藩置県まで)
矢島藩(やしまはん)は、江戸時代に出羽国由利郡矢島(現在の秋田県由利本荘市矢島町)を中心に存在した外様藩で、藩庁は矢島陣屋に置かれました。初代藩主生駒高俊は、もともと讃岐国高松藩17万1800石の大名でしたが、家中の内紛により1640年に改易され、出羽国矢島に1万石を与えられました。その後、嫡男の生駒高清が弟に2000石を分与したため、生駒家は8000石の交代寄合となりました。幕末の戊辰戦争では、12代当主生駒親敬が新政府軍に与し、庄内藩との戦いに参加しました。戦後、1万5200石に加増され、大名に復帰しました。1871年の廃藩置県により矢島藩は廃止され、その領地は秋田県に編入されました。ざっくり簡単解説!玉取藩とは?
玉取藩(たまとりはん)は、江戸時代前期に常陸国新治郡玉取(現在の茨城県つくば市玉取)周辺に設立された藩です。1622年に堀秀政の弟であり、幕府で要職を務めていた堀利重が、元和の大坂の陣での功績により1万石を与えられ立藩しました。その後、堀家は藩内の領地や周辺領地を加増し、最大で1万4000石まで拡大しました。
堀利重の跡を継いだ堀利長もまた藩主を務めましたが、家臣や領民との対立が増え、財政難にも悩まされました。3代目藩主の堀通周が1679年に精神的に不安定になり、家臣を殺害する事件を引き起こしたことが藩の命運を決定づけ、幕府により廃藩処分を受けました。通周の弟である堀利雄は、廃藩後も旗本として3000石を与えられ、幕末まで堀家は玉取の領主として続きました。
- 最終更新日: