ざっくり簡単解説!浅野長友とは?

浅野長友(あさのながとも)は、江戸時代前期の播磨国赤穂藩第2代藩主です。1643年に初代藩主浅野長直の長男として生まれ、幼名は又一郎とされました。寛文11年(1671年)に父の隠居により家督を相続し、従五位下・采女正に任じられました。この際、父の指示で所領の一部を義兄の浅野長賢と弟の浅野長恒に分与したため、表高が5万石に減少しました。

長友は1672年に赤穂に入り、藩主として正式に藩政を開始しました。彼の治世は短く、延宝3年(1675年)に33歳で早世し、墓所は赤穂市花岳寺に設けられました。長友の死後、跡を長男の浅野長矩(後の赤穂事件で知られる人物)がわずか9歳で継承し、赤穂藩の歴史は波乱に満ちたものへと続きました。

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