1869年-1871年(廃藩置県まで)
館藩(たてはん)は、明治初期に北海道渡島国檜山郡館(現在の北海道厚沢部町)を拠点とした藩です。元々、松前藩は松前城を本拠としていましたが、戊辰戦争の際、旧幕府軍の攻撃に備えて内陸部の館に新たな城を築きました。この新城は館城と呼ばれ、1868年(慶応4年)に完成しました。しかし、同年11月、旧幕府軍の攻撃を受けて館城は落城し、松前藩は一時的に本拠を失いました。箱館戦争終結後、松前藩は館城を再建し、1869年(明治2年)に藩名を館藩と改めました。藩主は松前修広で、版籍奉還により館藩知事に任命されました。しかし、1871年(明治4年)の廃藩置県により館藩は廃止され、館県となりました。その後、館県は他の県と合併し、最終的に北海道に編入されました。館城跡は現在、国の史跡に指定されており、当時の遺構が保存されています。ざっくり簡単解説!江戸崎藩とは?
江戸崎藩(えどさきはん)は、江戸時代初期、常陸国(現在の茨城県稲敷市江戸崎)に存在した藩です。1603年、関ヶ原の戦いの後、徳川家康の家臣である青山忠成が1万石で封じられ、江戸崎藩が立藩されました。青山忠成は徳川家の重臣として町奉行や老中も歴任し、藩の安定した運営に尽力しました。その後、青山家は下野国鹿沼に転封され、藩は廃止されました。
1619年には、丹羽長重が1万石から加増を受けて入封し、江戸崎藩を再興しました。長重は元々、信長の家臣である丹羽長秀の子であり、藩政においても領内の整備に努めました。最終的に長重は1622年に陸奥棚倉藩に転封され、江戸崎藩は再び廃藩となり、その後は幕府の直轄地として管理されました。この短期間の藩歴ですが、戦国時代から引き継がれた地域の重要な拠点として江戸崎の地位は保たれました。
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