ざっくり簡単解説!水野忠精とは?
水野忠精(みずの ただきよ)は、江戸時代後期から幕末にかけての大名で、浜松藩第2代藩主として父・水野忠邦の後を継ぎ、のちに出羽国山形藩初代藩主となりました。1832年に生まれ、幕末期に老中として幕府の外交や内政を担いましたが、父忠邦の失脚により左遷され、弘化2年(1845年)に山形藩へ移封されました。
忠精は1862年に老中職へ復帰し、外交問題や内政改革に取り組む一方、開港後の対外折衝にも深く関与しました。また、外国船来航時の対応をはじめとする「外国御用取扱」職を兼務し、国防と外交を強化するための施策を試みましたが、幕末の混乱と権力抗争の影響を受け、1866年に老中職を辞任。その後も隠居生活を送りつつも、戊辰戦争時には徳川側に尽力し、最後まで幕府のために尽くしました。
忠精は公用日記を残しており、その中には幕末の政治情勢や外交問題への関与が詳細に記されています。忠精の活動は、譜代大名として幕府の要職に就き、幕末期の政治と外交において重要な役割を果たしたと評価されています。
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