ざっくり簡単解説!森忠貫とは?
森忠貫(もり ただつら)は、江戸時代後期の大名であり、播磨国赤穂藩の第10代藩主を務めました。文化13年(1816年)閏8月13日、第9代藩主・森忠敬の長男として生まれ、幼名を勝蔵と称しました。文政7年(1824年)6月4日に父が死去したため、同年8月5日に家督を継ぎました。文政9年(1826年)4月19日には、江戸本所の御蔵火番に任じられました。
しかし、文政10年(1827年)5月28日、わずか12歳で早世しました。戒名は顕良院殿鶴山伯一童子であり、墓所は東京都港区東麻布の瑠璃光寺にあります。忠貫には嗣子がいなかったため、藩は改易や減封を恐れ、弟の忠徳を身代わりとして立て、忠貫没後の6月に家督を継がせました。このため、忠貫は歴代藩主として数えられず、後に忠貫が忠徳と改名したとされており、10代藩主の忠貫と忠徳は同一人物とされています。
忠貫の治世は短期間であり、藩政における具体的な改革や政策は多く残されていませんが、若年ながら藩主としての責務を果たそうとした姿勢は後世に評価されています。
- 最終更新日: