7世紀 - 1871年(廃藩置県まで)
丹波国(たんばのくに)は、かつて日本の令制国の一つで、山陰道に属し、現在の京都府中部および兵庫県北東部に相当します。国府は現在の京都府亀岡市に置かれ、国分寺も同地に建立されました。一宮は出雲大神宮(亀岡市)とされ、古代から信仰の中心地として栄えました。丹波国は、丹波高地を中心に山間部が広がり、農業や林業が盛んでした。また、丹波焼などの伝統工芸も発展しました。戦国時代には、明智光秀が支配し、本能寺の変を起こした地としても知られています。江戸時代には、亀山藩や篠山藩などが置かれ、城下町として発展しました。1871年の廃藩置県により京都府と兵庫県に分割編入され、現在も歴史的遺産や文化が多く残り、観光地としても親しまれています。ざっくり簡単解説!松平直致とは?
松平直致(まつだいらなおむね)は、江戸時代末期から明治時代にかけての明石藩第10代(最後の)藩主です。1849年に松平慶憲の長男として江戸藩邸で生まれ、幼名を薫次郎としました。1861年に元服し、父から「直致」と命名されました。幕末には幕府軍として鳥羽・伏見の戦いに参戦しましたが、その後は新政府に恭順し、家中の存続を図りました。
明治2年(1869年)には版籍奉還により知藩事となり、藩の近代化を推進。藩校「敬義館」を開設し、教育に力を入れました。しかし、明治4年(1871年)に廃藩置県により知藩事職を失い、その後は東京に移り住みました。直致は1884年に隠居し、弟の松平直徳が家督を継ぎました。同年に35歳で亡くなり、短い人生ながらも時代の変革期を生き抜いた藩主でした。
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