ざっくり簡単解説!松平直純とは?

松平直純(まつだいら なおずみ)は、江戸時代中期の大名で、播磨国明石藩第3代藩主を務めた人物です。1727年に第2代藩主・松平直常の長男として明石城で生まれました。母は側室で、松田友成の養女である幾代子です。1737年に元服し、父から直純の諱を与えられ、1743年に父の隠居に伴って藩主となりました。

直純の治世は藩財政の慢性的な窮乏に悩まされ、家臣の俸禄削減藩札の発行などの財政再建策を実施しましたが、十分な効果を上げることはできませんでした。さらに、1748年には朝鮮通信使の接待役を務めるなど幕府の重要な行事にも携わり、徳川家との関係を保ちました。財政難の中でも、直純は藩内の運営を続けましたが、1764年に38歳の若さで病没しました。その後、家督は長男の松平直泰が継ぎました。

直純の時代には財政改革の試みがあったものの、成果が限定的であったことが彼の藩政の特徴として語り継がれています。

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