ざっくり簡単解説!松平直泰とは?

松平直泰(まつだいら なおひろ)は、江戸時代中期の大名であり、播磨国明石藩の第4代藩主を務めました。1748年、父である第3代藩主・松平直純の長男として江戸藩邸に生まれました。1758年に元服し、直純から「直泰」の諱を受けました。彼は1764年、父の死去に伴い家督を継ぎ、藩主となりました。1763年に従五位下に叙任され、内膳正の官位を受け、その後、丹後守や左兵衛督と改称しました。

直泰は領内の財政や行政の安定に注力し、文化振興や学問奨励を進める政策を実施しました。また、1765年には内膳正から丹後守へと称号を変え、藩政を通じて地域の発展を目指しました。1770年に二本松藩主・丹羽高庸の娘と結婚しましたが、彼女は翌年に病没し、再婚相手を迎えました。天明4年(1784年)に家督を長男・松平直之に譲って隠居し、若狭守と名乗りました。彼はその後も藩政に関与し続けましたが、1804年、明石城の二の丸で卒中により56歳で死去しました。

江戸時代の関連記事