ざっくり簡単解説!松平斉宣とは?

松平斉宣(まつだいらなりこと)は、江戸時代後期の明石藩第8代藩主で、11代将軍徳川家斉の二十六男として1825年に生まれました。異母兄には福井藩松平斉善がいます。1840年、養父である松平斉韶の隠居に伴い、斉宣は家督を相続し藩主となりましたが、これにより実子であった松平慶憲は排除され、母である季遠姫はその失意から憤死したとも言われています。

斉宣が藩主となったことで、明石藩石高は6万石から8万石に増加しましたが、さらに10万石格を求めたことで、藩の財政は悪化しました。10万石格としての格式を維持するために多額の出費が生じ、財政は逼迫しました。天保15年(1844年)、斉宣は若くして病を患い、わずか20歳で世を去りました。彼には嗣子がいなかったため、先代の嫡子である松平慶憲が後を継ぎました。

斉宣の治世は短くも財政問題を抱えた時期であり、後に藩の行く末に影響を及ぼしました。彼の治世は『十三人の刺客』などの創作で話題になることもありますが、史実としての斉宣は若くして病に倒れた不運な藩主でした。

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