ざっくり簡単解説!松平忠弘とは?

松平忠弘(まつだいらただひろ)(1631年~1700年)は、江戸時代前期の大名で、松平忠明の後を継ぎ、様々な藩への転封を経験しました。彼は最初に播磨国姫路藩を治め、その後、出羽国山形藩下野国宇都宮藩、そして陸奥国白河藩へと転封されました。忠弘は各地で藩政を整備し、特に宇都宮藩では新田開発のための検地を実施するなど、地域の発展に尽力しました。

白河藩では、家臣同士の対立が「白河騒動」として表面化し、幕府の仲裁を受け、家臣の一部が処罰される事態に発展しました。忠弘はこの騒動の責任を重く受け止めて隠居を決断し、家督を孫の斎宮に譲りました。隠居後も「刑部大輔」として家中に影響を残しつつ、1700年に70歳で亡くなりました。忠弘の生涯は、藩の統治と家中の安定を追求しながらも、家督相続や家臣間の対立に悩まされた象徴的なものです。

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