ざっくり簡単解説!松平容衆とは?

松平容衆(まつだいらかたひろ)(1803年~1822年)は、江戸時代後期の会津藩第7代藩主で、父の松平容住の急逝に伴い4歳で藩主となりました。幼少期のため、重臣や家臣の補佐を受けて藩政が進められ、1813年には将軍徳川家斉に謁見して肥後守左近衛権少将の官位を受けました。藩政においては先代の意向を尊重し、藩内の秩序と安定を図りましたが、若年のうちに病に倒れ、1822年に18歳で亡くなりました。

容衆には嗣子がいなかったため、藩内の断絶を防ぐ目的で、養子に迎えられた松平容敬が家督を継ぎました。この養子縁組は、家老田中玄宰が早くから計画し、会津藩徳川幕府への忠誠を維持するうえで重要な措置となりました。容衆の短い治世にもかかわらず、彼の遺した安定した藩政の基盤は、後の会津藩の繁栄に寄与しました。

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