ざっくり簡単解説!松平容保とは?
松平容保(まつだいらかたもり)(1836年~1893年)は、幕末期の会津藩第9代藩主であり、京都守護職として幕府と朝廷のために尽力した人物です。容保は徳川家への忠義を何より重視し、1862年に京都守護職に任命され、京の治安維持や尊王攘夷派への対応にあたりました。新選組を組織して浪士を取り締まるなど、京の治安維持に務め、幕府側の立場を守り抜きました。
1868年、戊辰戦争が勃発すると、容保は徳川慶喜に従い、鳥羽・伏見の戦いに参加しましたが敗北。会津藩は朝敵とされ、奥羽越列藩同盟の一員として新政府軍に抵抗しますが、最終的に会津若松城での籠城戦で敗れ降伏しました。この戦いでは、白虎隊や娘子隊など、会津藩士やその家族が壮絶な戦いを繰り広げました。
降伏後、容保は謹慎処分を受け、明治維新後は日光東照宮の宮司を務め、静かに余生を送りました。彼の忠義と犠牲の精神は、今も会津藩の歴史として語り継がれています。
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