ざっくり簡単解説!本多政利とは?
本多政利(ほんだ まさとし)は、江戸時代前期の大名で、大和国郡山藩主・本多政勝の次男として生まれました。彼は「九・六騒動」と呼ばれる跡目争いの中心人物として知られ、父が死去した後、兄の政長と共に郡山藩15万石を分割する形で6万石を相続しました。1679年には播磨国明石藩に移封されましたが、領民への苛政が原因で領地没収の危機に立たされました。
1682年、幕府により陸奥国大久保藩1万石への減転封が決まり、藩主としての座を大幅に縮小されました。その後も藩政の不適切な管理が続いたため、1693年には最終的に改易処分を受けました。この改易の背景には、奉公人への暴力事件などの不行状が関わっていたとされています。生涯を通じて度重なる失政が目立った政利の行動は、後世にも負の遺産として語り継がれました。
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