ざっくり簡単解説!最上義光とは?
最上義光(もがみよしあき)(1546年~1614年)は、戦国時代から江戸時代初期にかけての出羽国の戦国大名で、最上家第11代当主にして出羽山形藩の初代藩主です。彼は「出羽の狐」と称される智謀で領地を拡大し、最盛期には57万石の領土を築きました。妹・義姫を伊達輝宗に嫁がせ、伊達政宗との縁を得たものの、甥の政宗とは緊張関係が続きました。
1590年、小田原征伐で豊臣秀吉に従いましたが、のちに「秀次事件」で娘・駒姫が処刑される悲劇により、義光は豊臣家に不信を抱き、徳川家康と親交を深めました。1600年の関ヶ原の戦いでは、東軍に味方し、上杉家の直江兼続率いる軍勢と対峙。長谷堂城の戦いで激しい攻防を繰り広げ、上杉軍を撃退しました。
この功績により徳川家康から正式に山形藩57万石を認められ、東北の有力大名としての地位を確立しました。義光は領内で民政にも力を注ぎ、領民からも支持を得ました。彼は1614年に没し、その治世を通じて最上家の基盤を確立し、山形藩の繁栄を築きました。
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