ざっくり簡単解説!明善堂とは?

明善堂(めいぜんどう)は、江戸時代後期に上総国大多喜藩(現在の千葉県夷隅郡大多喜町)に設立された藩校です。大多喜藩第七代藩主・松平正義が藩士の教育を推進するため、三の丸に「望庵堂」という学問所を設けたことが始まりで、後に「明善堂」と改名され、藩士やその子弟の学問教育の中心となりました。明善堂では漢学や武芸などの教育が行われ、藩内の知識層育成に貢献しました。

また、幕末期の藩主・松平正質の時代には、鳥羽・伏見の戦いで旧幕府軍に参加したものの、新政府に迅速に恭順し、藩の存続が許されるなど、政治的対応力も発揮されています。明治維新後、明善堂は廃止されましたが、藩校の名跡は現在も地域の文化財として伝えられています。

江戸時代の関連記事