ざっくり簡単解説!挙母藩とは?
挙母藩(ころもはん)は、江戸時代に三河国(現在の愛知県豊田市)に存在した小藩で、藩庁は挙母城(別名七州城)に置かれていました。この藩は、慶長9年(1604年)に三宅康貞が1万石で入封し、後に2万石に加増されるなど、成長を遂げました。
藩の歴史は主に四つの時代に分かれ、初期には三宅家が藩主を務めましたが、1636年に三宅家が伊勢亀山藩に転封されたことにより一時廃藩となります。1649年に再度立藩され、その後は内藤家が藩主となり、1750年には藩校「崇化館」が設立されました。
幕末には、藩主の内藤政成が質素倹約を心掛けた一方で、天候不順や洪水などが藩財政に影響を与えました。また、1836年には大規模な農民一揆「加茂一揆」が発生し、藩主は鉄砲隊を組織してこれを武力鎮圧しました。この一揆は東海地方有数の規模で、後の歴史にも影響を与えました。
挙母藩は1868年の戊辰戦争の際、新政府側に与して恭順の意を表明し、明治3年(1870年)には藩が廃止され挙母県となりました。藩の歴史は地域の文化や社会に多大な影響を与え、今でもその名残が見られます。
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