ざっくり簡単解説!律令制とは?

律令制(りつりょうせい)は、7世紀後半から8世紀にかけて日本に導入された中央集権的な統治制度で、中国の唐王朝の法制度をモデルにしたものです。「律」とは刑法、「令」とは行政法を指し、これらを基に国家を運営しました。律令制は、天皇を頂点とした統治体制の確立を目指し、地方豪族の権力を抑え、国全体の統一と秩序を図りました。

律令制の下では、全国が国、郡、里という単位に区分され、各地に官吏が派遣されて税の徴収や司法行政が行われました。中央には太政官が置かれ、太政大臣左大臣右大臣などが天皇を補佐して国政を統括しました。また、民衆は戸籍に登録され、土地や人口が把握されると同時に、労役や租税の義務が課されました。これにより、農地の分配や税の公平な徴収が制度化されました。

また、軍事や司法も律令制によって整備され、軍隊の編成や裁判の基準も定められました。律令制の導入によって、貴族や豪族に依存する従来の支配体制から、天皇を中心とした中央集権的な国家運営が進められました。

しかし、平安時代中期以降、地方での力を持つ武士階級の台頭や荘園の増加により、律令制は次第に機能しなくなりました。その結果、律令制は名目上は維持されたものの、実質的には衰退し、最終的には武家政権が実権を握ることになりました。

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