ざっくり簡単解説!寛永の大飢饉とは?
寛永の大飢饉(かんえいのだいききん)は、江戸時代初期の1642年(寛永19年)から1643年(寛永20年)にかけて発生した深刻な飢饉で、江戸四大飢饉の一つに数えられます。主な原因は、異常気象や自然災害による農作物の不作でした。特に、1638年の九州での牛疫や、1640年の蝦夷駒ヶ岳の噴火による降灰が農業に大きな打撃を与えました。
この飢饉により、全国で約5万から10万人の餓死者が出たとされています。
幕府は、倹約令の発布や、煙草の作付禁止、身売りの禁止、酒造統制、雑穀を用いた食品の製造販売禁止、御救小屋の設置など、具体的な飢饉対策を指示しました。
寛永の大飢饉は、幕府の農政転換にも影響を与え、百姓撫育(百姓成立)を推し進める契機となりました。
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