645年([years_ago]645[/years_ago])
乙巳の変(いっしのへん)は、飛鳥時代の645年6月12日(皇極天皇4年6月12日)に発生した政変で、中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)(後の天智天皇)と中臣鎌足(なかとみのかまたり)(後の藤原鎌足)らが、当時権勢を振るっていた蘇我入鹿(そがのいるか)を飛鳥板蓋宮で暗殺し、蘇我氏宗家を滅ぼした事件です。この政変は、蘇我氏の専横に対する反発と、中央集権的な国家体制への転換を目指す動きが背景にありました。乙巳の変後、孝徳天皇が即位し、中大兄皇子は皇太子として実権を握り、翌年の646年には「改新の詔」を発布し、公地公民制の導入や地方行政の整備など、大化の改新と呼ばれる一連の改革を推進しました。これにより、日本は豪族中心の政治から天皇中心の中央集権的な国家体制へと移行し、律令国家の基盤が築かれました。乙巳の変は、日本史における重要な転換点であり、その後の政治・社会体制に大きな影響を与えました。ざっくり簡単解説!安閑天皇とは?
安閑天皇(あんかんてんのう)は、日本の第27代天皇であり、『日本書紀』や『古事記』にその名が記されています。安閑天皇は、第26代天皇である継体天皇の子として即位し、父の跡を継いで日本の統治を引き継ぎました。
安閑天皇の治世に関する記録は比較的少なく、彼の具体的な功績については多くは伝わっていません。しかし、彼は短期間の治世の中で、父の継体天皇が築いた中央集権体制を維持し、国家の安定を図ったとされています。彼の治世は、戦乱や内紛が少なく、比較的平穏な時期であったとされています。
安閑天皇の死後は、弟の宣化天皇が皇位を継承し、皇統は安定して引き継がれていきました。
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