1853年([years_ago]1853[/years_ago])
黒船(くろふね)は、江戸時代末期の1853年6月3日(嘉永6年6月3日)、アメリカ合衆国のマシュー・ペリー提督が率いる4隻の軍艦が、日本の浦賀沖に来航した際の艦船を指します。これらの艦船は黒い船体を持ち、蒸気機関を備えていたため、日本人から「黒船」と呼ばれました。ペリーの来航は、日本に開国を迫るものであり、翌年の1854年3月31日(嘉永7年3月31日)に日米和親条約が締結され、日本は鎖国政策を終え、開国への道を歩み始めました。この出来事は、日本の近代化の契機となり、幕末の政治情勢に大きな影響を与えました。ざっくり簡単解説!奥羽越列藩同盟とは?
奥羽越列藩同盟(おううえつれっぱんどうめい)は、明治維新期において、東北地方と越後(現在の新潟県)の諸藩が結成した同盟です。1868年の戊辰戦争の際、会津藩や庄内藩など、徳川幕府に忠誠を誓う東北諸藩が中心となり、薩長を主導とする新政府軍に対抗しました。奥羽越列藩同盟は東北地方の自治と徳川家の存続を目的とし、約30藩が参加しました。
しかし、同盟は内部の意見の不一致や戦力不足から、新政府軍に対して劣勢を強いられ、最終的に崩壊しました。特に会津戦争や庄内戦争など、各地での戦闘が繰り広げられましたが、同盟軍は敗北し、東北地方も明治政府の支配下に組み込まれていきました。この同盟の崩壊は、徳川時代の終焉と明治時代の幕開けを象徴する出来事の一つです。
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