ざっくり簡単解説!奥平昌能とは?

奥平昌能(おくだいらまさよし)(1633年~1672年)は、江戸時代前期の譜代大名で、徳川家康の外曾孫にあたります。父・奥平忠昌の後を継ぎ、下野宇都宮藩第2代藩主に就任しましたが、その粗暴な性格から「荒大膳」とあだ名されました。家臣への厳しい態度で知られ、殉死が禁じられていた時代にもかかわらず、家臣に殉死を強要し、家臣の不満が高まっていきました。

また、昌能は河で修行中だった山伏を無断で処刑する事件を引き起こし、家臣の信頼を失い、40名以上の家臣が離反する事態となりました。1668年には出羽国山形藩に転封され、15万石を与えられましたが、依然として家中での混乱は収まりませんでした。

寛文12年(1672年)、後継者の不在が危惧され、妹の婿・五島盛勝の次男を養子に迎えたものの、その直後に昌能は没しました。家督は養子の奥平昌章が継ぎましたが、昌能の厳格な統治と家中での対立は彼の治世を象徴するものでした。

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