ざっくり簡単解説!天保の大飢饉とは?

天保の大飢饉(てんぽうのだいききん)は、江戸時代後期の1833年(天保4年)から1839年(天保10年)にかけて発生した深刻な飢饉で、江戸四大飢饉の一つに数えられます。

主な原因は、天保4年の大雨による洪水や冷害による大凶作であり、特に東北地方(陸奥国出羽国)の被害が最も大きかったとされています。

この飢饉により、米価が急騰し、各地で百姓一揆や打ちこわしが頻発しました。

また、天保8年(1837年)には大坂で大塩平八郎の乱が発生し、幕府の体制的危機を促しました。

一方、田原藩では家老の渡辺崋山が『凶荒心得書』を著し、藩主に提出するなど、飢饉に対する対策が講じられました。

天保の大飢饉は、幕府や諸藩の財政に深刻な影響を及ぼし、社会不安を引き起こしました。

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