ざっくり簡単解説!大多喜新田藩とは?

大多喜新田藩(おおたきしんでんはん)は、江戸時代前期に短期間存在した藩で、上総国(現在の千葉県夷隅郡大多喜町)に位置していました。1651年、岩槻藩主・阿部重次の次男である三浦正春(後の阿部正春)が1万6000石を分与され、武蔵岩槻藩の支藩として成立しました。正春は新田開発のために大多喜新田藩を立藩し、領地管理と藩政を行いました。

1659年、正春が岩槻藩の家督を継いで主藩に戻ると、大多喜新田藩は本藩に吸収され、廃藩となります。その後、正春は1671年に本藩を大多喜藩として統治することになり、大多喜藩主として再びこの地域を治めました。このように、大多喜新田藩は阿部家の内部での新田分知として成立し、短期間で廃藩に至った特殊な経緯を持っています。

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