ざっくり簡単解説!大久保忠職とは?

大久保忠職(おおくぼ ただもと)は、江戸時代前期の譜代大名で、父・大久保忠常の跡を継いで武蔵国騎西藩の第2代藩主となり、のちに美濃国加納藩播磨国明石藩を経て、最終的に肥前国唐津藩の初代藩主として8万3000石を領有しました。彼は徳川家康の孫娘を母に持ち、家柄からも厚く信頼されていました。特に寛永9年(1632年)に加納藩で3万石加増され、さらに寛永16年(1639年)には明石藩へ、慶安2年(1649年)には唐津藩へと転封され、各地で領地を拡大していきました。

忠職は唐津藩において、前藩主であった寺沢堅高による悪政を改めるため、地方知行制の廃止蔵米制の導入を行い、藩政の安定化に尽力しました。また、農民登用の増加と代官制度の強化を進め、農政や税制の整備により藩内の民生の安定を図りました。1670年に67歳で亡くなり、跡継ぎがなく、従弟の大久保忠朝が養子として家督を継いでいます。

忠職の治世は、藩政改革を通じて幕藩体制の安定を支える重要な役割を果たし、その功績は後の唐津藩の発展にも大きく寄与しました。

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