ざっくり簡単解説!堀部金丸とは?

堀部金丸(ほりべ かなまる)は、江戸時代前期の赤穂浪士四十七士の一人で、通称は弥兵衛です。1627年、常陸国笠間で生まれ、祖父の代から浅野家に仕える家系でした。若年より赤穂藩に仕官し、祐筆を経て江戸留守居役として300石を知行しました。

元禄7年(1694年)、高田馬場の決闘で名を馳せた中山安兵衛(後の堀部武庸)を婿養子に迎え、娘のきちと結婚させました。

元禄14年(1701年)3月14日、主君・浅野長矩が江戸城内で吉良義央に刃傷に及び、即日切腹を命じられ、赤穂藩は改易されました。金丸は仇討ちを強く主張し、婿養子の武庸とともに急進派の中心となりました。

元禄15年(1702年)12月14日、金丸は表門隊に属し、吉良邸討ち入りに参加しました。高齢のため、屋根に上る際には家僕の助けを借りたと伝えられています。

討ち入り後、金丸は熊本藩主・細川綱利の屋敷に預けられ、元禄16年(1703年)2月4日、77歳で切腹を命じられました。

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