ざっくり簡単解説!原元辰とは?

原元辰(はらもととき)は、江戸時代前期の赤穂浪士四十七士の一人で、通称は惣右衛門です。1648年、米沢藩士・原定辰の長男として生まれ、母は和田将監の娘でした。父が浪人となった後、元辰は赤穂藩浅野長直に仕官し、足軽頭として300石を受けました。

元禄14年(1701年)3月14日、主君浅野長矩が江戸城内で吉良義央に刃傷に及び、切腹を命じられました。元辰はこの報を赤穂へ伝えるため、早駕籠で急行し、わずか4日で到着して大石良雄に知らせました。その後、開城恭順を主張し、赤穂城明け渡し後は大坂に移り住み、御家再興運動を支援しました。

元禄15年(1702年)12月14日の吉良邸討ち入りでは、表門隊に属し、大石良雄を助けて司令にあたりました。討ち入り後、熊本藩主細川家にお預けとなり、元禄16年(1703年)2月4日、切腹を命じられ、享年56。墓所は泉岳寺にあり、法名は刃峰毛劔信士です。

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