7世紀 - 1871年(廃藩置県まで)
下総国(しもうさのくに)は、かつて日本の令制国の一つで、東海道に属し、現在の千葉県北部と茨城県南西部、および埼玉県東部、東京都東部の一部に相当します。国府は現在の千葉県市川市国府台付近に置かれ、国分寺も同地に建立されました。一宮は香取神宮(千葉県香取市)とされ、古代から信仰の中心地として栄えました。下総国は、利根川や江戸川などの河川が流れ、肥沃な平野を有し、農業が盛んでした。また、千葉氏が拠点とした地であり、鎌倉時代には源頼朝を支援し、鎌倉幕府の創設に寄与しました。江戸時代には、古河藩や佐倉藩、関宿藩などが置かれ、城下町として発展しました。1871年の廃藩置県により千葉県、茨城県、埼玉県、東京都に分割編入され、現在も歴史的遺産や文化が多く残り、観光地としても親しまれています。ざっくり簡単解説!加賀国とは?
823年 – 1871年(廃藩置県まで)
加賀国(かがのくに)は、かつて日本の令制国の一つで、北陸道に属し、現在の石川県南部に相当します。823年(弘仁14年)、越前国から加賀郡と江沼郡を分割して設置されました。国府は現在の小松市に置かれ、国分寺も同地に建立されました。一宮は白山比咩神社(白山市)とされ、古代から信仰の中心地として栄えました。加賀国は、日本海に面し、肥沃な平野と豊富な水資源を有し、農業や漁業が盛んでした。中世には一向一揆が発生し、約100年間にわたり自治的な支配が続きました。江戸時代には加賀藩(前田氏)が統治し、金沢城を中心に城下町が発展しました。1871年の廃藩置県により石川県に編入され、現在も歴史的遺産や文化が多く残り、観光地としても親しまれています。
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