ざっくり簡単解説!加藤明成とは?

加藤明成(かとうあきなり)(1592年~1661年)は、江戸時代初期の大名で、父・加藤嘉明の後を継いで会津藩の2代藩主となりました。明成は40万石の所領を引き継ぎ、若松城の改修や領内整備に尽力しましたが、藩政において多くの問題に直面します。特に家臣の堀主水との対立が激化し、「会津騒動」と呼ばれる内部対立に発展しました。堀が反発して出奔した際には江戸幕府をも巻き込む事態となり、最終的に堀とその一族は処刑されました。この一連の事件や、藩内の苛烈な統治方針が原因で、会津藩は財政的にも疲弊します。

1643年、明成は藩の返上を幕府に申し出て了承され、加藤家は会津藩の所領を失いましたが、幕府の特別措置で息子・加藤明友が石見吉永藩1万石を与えられ家名再興を果たしました。明成はその後、隠居して静かに余生を送り、1661年に没しました。

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