ざっくり簡単解説!八田藩とは?
八田藩(はったはん)は、江戸時代中期に伊勢国に存在した藩で、1726年に加納久通(かのうひさみち)が1万石で立藩しました。八田藩は、伊勢国三重郡の治田郷(はったごう)(現在のいなべ市治田地区)を所領とし、陣屋は東阿倉川村(現在の四日市市東阿倉川周辺)に置かれました。このため、八田藩は「東阿倉川藩」とも呼ばれました。
藩主の加納家は、代々幕府の要職を歴任し、特に加納久周(かのうひさかず)は寛政の改革において「寛政の三忠臣」として知られる重要な人物です。藩は、領土の多くを伊勢国に持ち、幕末には上総国一宮への陣屋移転が行われ、藩名も一宮藩と改称されました。
八田藩は1871年の廃藩置県によって消滅し、その領地は三重県に編入されました。藩は、江戸時代を通じて地域の発展に寄与し、現在もその名は歴史に残っています。
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