ざっくり簡単解説!備中松山藩とは?

備中松山藩(びっちゅうまつやまはん)は、江戸時代に存在した藩で、岡山県の高梁市に位置する松山城を藩庁としました。藩は1617年に池田長幸によって設立され、最初は約6万5千石の石高を持っていました。藩主はその後も幾度か変わり、水谷氏や安藤氏、石川氏が藩主となりました。

特に水谷勝隆の治世下で、藩の発展が促進され、城下町の整備や新田開発が進められました。幕末には、藩主の板倉勝静が老中に就任し、藩政改革を進め、さらに新政府への対応に苦慮しました。1868年の戊辰戦争では、無血開城を決断し、藩は朝敵とされましたが、その後は新政府に従う形で存続しました。

明治2年(1869年)には石高が減封され、藩名も高梁藩に改称されました。1871年の廃藩置県により藩は消滅し、その領地は高梁県となりました。備中松山藩の歴史は、岡山県内の地域文化や伝統に深い影響を与えています。

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