ざっくり簡単解説!保科正経とは?

保科正経(ほしなまさつね)(1647年~1681年)は、江戸時代初期の会津藩第2代藩主で、保科正之の四男として生まれました。兄たちが早世したために正経が嫡子として家督を継ぎ、1669年に父・正之の隠居に伴い藩主に就任しました。正経は父の遺志を尊重し、領内に疫病対策として薬草園(後の御薬園)を設立するなど、民の健康に配慮した藩政を進めました。また、父の死後には土津神社を創建して正之を弔っています。

正経は健康が優れず、実子が夭逝したため、弟の松平正容を養嗣子に迎えました。1681年に34歳で没し、藩主の地位は正容が継承しました。このように、保科正経は父の功績を継承しつつ、短期間ながら会津藩の基礎を固める役割を果たしました。

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