ざっくり簡単解説!久保田藩とは?
1602年-1871年(廃藩置県まで)
久保田藩(くぼたはん)は、江戸時代に出羽国(現在の秋田県)を中心に存在した外様藩で、藩庁は久保田城に置かれました。初代藩主佐竹義宣は、関ヶ原の戦い後の1602年に常陸国から転封され、久保田藩を立藩しました。表高は約20万石、実高は約40万石とされ、家格は大広間詰の国持大名でした。藩内では、鉱山開発や林業、農業の振興に努め、特に秋田杉の生産で知られました。また、藩主自らが学問や文化の奨励に力を入れ、三代藩主佐竹義処は藩史編纂局「秋田史館」を創設し、八代藩主佐竹義敦(曙山)は「秋田蘭画」を創始しました。幕末には、当初奥羽越列藩同盟に参加しましたが、尊皇攘夷派の影響もあり、同盟を離脱し新政府軍に協力しました。戊辰戦争では、秋田戦争で孤軍奮闘し、最終的に新政府軍の勝利に貢献しました。1871年の廃藩置県により久保田藩は廃止され、その領地は秋田県として再編されました。
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